香楽レポート

「香楽-香りで広がる心のアート」
山下文江(著)
ハースト婦人画報社(2013/11/29)

 

上記の山下文江先生の書籍にて、ご紹介いただきました、
香楽レポートの全文を掲載しています。

香楽を始めてから2013年10月までの流れをまとめています。
とても長いですが、まだまだ書ききれないほ楽しい思い出の香りがたくさんありました。

香楽の楽しさは、まだまだ計り知れません。

2013年11月以降の香りは、メニューの「香りのデッサン」にて随時更新していきます。

 

香楽との出会い

「誰にでも自分のオリジナル香水がつくれる――」

そんな言葉に惹かれ、フェリス大学のオープンキャンパスで、香楽講座を受講したのがきっかけでした。

専門的な知識を必要とせず、たった一回のレッスンで1本の香水ができるという、香楽とはいったいどんなものだろうと、期待に胸を膨らませていました。

最初のレッスンでは、「香水のつくり方」という知識を学ぶのだと思っていました。

実際は、香りのついたムエットという小さな細い紙が手渡され、香りの「イメージ」をみて、それを書くことを教わりました。いきなり実践のようでしたので、少しとまどいを覚えました。

その紙は、とても良い香りがしています。しかし、頭の中には「良い香り」という単純な言葉しか浮かんできません。少し焦りを感じました。

先生が、「花だとしたら、どんな色か? 本数は? 野の花なのか切花なのか?」など具体的なイメージのヒントを教えてくださったので、少しずつ緊張がとけてきました。

とはいえ、泉のようにイメージが湧いてくるわけではありません。教室にあった真っ白なホワイトボードをみたり、窓から見える空をみたりして、イメージの断片をキャッチしようと試みると、少し成果がありました。

 

初日は、4本の香りから、1本の香水に仕上げました。その4本のうち、最後にみた香りが、あまりにも良い匂いだったので50%も入れたのを覚えています。好きな香りに出会うと、とても心が弾みました。

 

全6回の香楽講座は、あっという間に終わりました。最後の時間になると、なぜかとてもさみしくなり、思いきって、もっと香楽を続けたい気持ちを伝えました。

それが、香楽との豊かな旅の始まりでした。

 

 

嫌いな香りを排除しない

その後は、月に1度、香楽のレッスンを受けられることになりました。

香楽は、その名のとおり、「学ぶ」よりも「楽しむ」という言葉が似合っています。

自宅でゆっくりと香りに親しみ、イメージをノートに書いていくと、とても楽しく幸せな気分になりました。

 

レッスンを進めていくと、新しい香りが増えていきました。その中には、少しクセのある、苦手な香りに出会うこともありました。

そのときには「嫌いな香りにも理由がある、それを排除しようとせず、1%でもいいから入れてみて」と教わりました。

たったの1%入れても、香りに大きな変化はありません。それでも、きちんと1%はかりとり、香水に加えてみると、「嫌いな香りもちゃんと入れた」という実感がありました。

しかし、いつも1%になってしまうと、その香りが気になる存在となってきました。

頭の中で「苦手な香り」と決めつけず、一度その香りとじっくり向き合ってみることにしました。なるべく自然に感じられるよう心がけました。

すると、温かく乾いた心地よい砂の上にいるようなイメージが浮かんできました。

「苦手な香り」というレッテルをはがすと、他の香りにはない、独自の良さがあることに気がついたのです。「苦手な香り」ではなく「個性ある面白い香り」として捉えると、新たな可能性を感じるようになりました。

 

 

ひとつひとつ香りを覚えていく

香楽の基礎では、使用頻度にばらつきがでないように、ひとつひとつの香りと丁寧に向き合い、積みあげていく期間があります。そのときは、毎回すべての香りを使用して香水をつくります。

 

香りが増えてくると、最終的な完成イメージにもこだわりがでて、自由に香りを選択したい欲求が強くなりました。

背伸びしたがる私に、先生は、料理を例えに教えてくれました。

「ホットケーキをつくるときは、粉に対して一気に水分を加えてしまうと、ダマになってしまうでしょう。少しずつ水分を入れて混ぜ、生地をなめらかにしていきます。そのように、焦らずにひとつひとつの香りを自分の中に定着させていくことが大切です」

同じジャスミンの香りでも、何度も出会うたびにイメージの幅が広がり、深みを増していきました。そうして自分の中に存在する「香り辞書」の、ジャスミンという項目の意味を増やし、更新していきます。香楽の基礎は、香りの辞書に厚みをもたせる豊かな時間となりました。

 

 

仕上げのコツをつかむ

香りの種類が増えていくにつれて、イメージと完成した香りとのギャップを感じることが増えてきました。なんとか修正しようと処方を直してみても、あまり変化はありません。

どうしたものかと思い、もう一度ノートを読みなおしてみました。

すると、香り1本1本でみたイメージと、全体的な香りの完成イメージが、全然違っていることに気がつきました。

まるで、これまでのストーリーをまったく無視した映画の結末をくっつけたようなものでした。これでは、みる人はがっかりです。

その後は、物語を活かした完成イメージとなるよう気をつけました。すると、違和感がなくなり、完成した香りに納得できるようになりました。先生に「やっとコツをつかめました!」とメールをしたのを覚えています。

 

 

自由な香りづくり

基礎が終わると、自由に香りを選択し、テーマも自由に決めてよいことになりました。

春には、夜に香る桜をイメージした香りをつくり、夏に水族館に行ったときは、涼やかな青い水を感じられるような、アクアリウムをテーマにしました。

イギリス皇太子の結婚や、幸せの国ブータン、オリンピックなど、話題になった事柄もテーマになりました。変わったものでは、掃除がはかどる香りや、風邪を引いたときには体の治癒力などもテーマにしました。

 

香りと音楽は相性が良いようです。当時レミオロメンというバンドが好きで、「風のクロマ」というアルバムの香りづくりに挑戦しました。歌詞や音楽の感性がみずみずしくて、イメージがたくさん膨らみました。

完成した香りがつまった小瓶を箱に並べ、全15曲分のセットが完成しました。曲を聴きながら香りをみては、心くすぐられるような、とても楽しい香りづくりとなりました。

 

テーマに関する知識を深め、感じたことを表現していくと、しっかりとイメージをみた分だけ、香りがきちんと答えてくれる感覚がありました。それは不思議な感覚で、香りとふれあうことがますます楽しくなりました。

 

改めてノートを見直すと、そのとき感じた気持ちが鮮やかによみがえってきます。日記よりも大切な、貴重な人生の記録となりました。

 

 

ネガティブな気分も隠さずに

香りづくりは、想像の世界に行ける、楽しいひと時です。

しかし、日常生活では感情が揺さぶられ、落ち込むこともありました。

香りの世界には、なるべくネガティブな気分は持ち込みたくありません。落ち込んでいるときは、香りづくりをしないか、したとしても、なるべくポジティブなことを意識して書くようにしました。

そうして気持ちを隠しているうちに、ふと疑問を持ちました。私の中のネガティブな部分は、私として認められていないのでしょうか。まるで、月の裏側は月ではないと主張しているような、おかしな感じです。

 

嫌いな香りを排除しなかったように、暗い気分も無理に排除せず、とりあえず受けいれてみてもいいかもしれない。そう思いました。

香りの力は不思議なもので、じっと香りに身をゆだねていると、自分がいま何を感じているのか、そして、本当はどう在りたいのかを、自然と感じることができました。

感情にのまれることなく、客観的にみることができたら、もうその中から一歩外へ出ていることになるのかもしれません。香りが、その手助けをしてくれました。

 

「嫌いな香りにも理由がある、それを排除しようとせず、1%でもいいから入れてみて」と教わった本当の意味が、やっと分かったような気がしました。

 

香りを手がかりに心と対話し、自分の中の感情や感覚を、取りつくろったり誤魔化したりすることなく、ありのままを受け入れる。そうすることで、自己否定や批判の連鎖から抜け出すことができたのです。

 

暗い感情を否定しないでいると、内部の抵抗感がなくなりました。一度、自分を受け入れる感覚を味わうと、いままで自分に冷たく接し、なにかできなくては罰してきたことに気がつきました。

自分を受け入れたら、人も受け入れることができるはずです。そう思うと、これから生きるのが楽になるような気がしました。

 

香楽は、フレグランスアートという芸術面だけでなく、セラピーという癒しの一面もあります。自分の心の中にわきあがるイメージや感情を丁寧に探り、それを素直に受け入れるという作業の積みかさねは、まさに、心を癒すセラピーとなることを実感しました。

 

 

幸運の四つ葉のクローバー

あるとき、公園で四つ葉のクローバーを見つけました。

20090506 Four Leaf Clover 01820090506 Four Leaf Clover 018 / cygnus921
   

四つ葉のクローバーは幸運をもたらすといわれています。理由を調べてみると、四つ葉になる確率は1万分の1であること。さらに、四つの小葉の一枚一枚は、希望、誠実、愛情、幸運を象徴していることが分かりました。

そこで、まず「希望、誠実、愛情、幸運」を象徴した4本の香水をつくり、最終的に4本を合わせて1つの香水にすることを考えました。

 

<希望> キラキラと輝く前向きなイメージ。

006グレープフルーツ キラキラと輝き、やる気に満ちている。

103すずらん 清らかで確かな気持ち。すべて失ったときにもつ静かな希望。

134さくら  別れや終わりのあとの始まり。新たな輝かしい未来を祝福してくれる。

601ムスク  地に足の着いた安定感。

 

<誠実> しっかりとして、まっすぐなイメージ。

005ゆず 心の落ちつき、無理なく自然体であること。

113リンデンブロッサム 揺るぎない心。地中深くまで根をおろし、そばにくる動物や人を優しく受けいれてくれる温かい心。

504パチュリ 誠実を絵にかいたよう。真面目で、上品な、人を裏切らない紳士。

 

<愛情> すべての愛が合わさった結晶のようなイメージ。

001レモン かわいらしくきらめく笑顔。心が開かれてすがすがしい気持ち。

720バニラ 母のつくった甘いクッキーのような、体の芯まで伝わる温かい愛情。

601ムスク 男性的な、大きく深みのある愛。

602アンバーグリス どれだけ時が流れても変わらない愛。

 

<幸運> 軽やかで魔法のようなイメージ。

007ライム リラックスしてオープンになる心。

414カシス 期待も依存もない、純粋で軽やかな、好きという気持ち。

102Aローズアブソリュート 天空にいるようなイメージ。幸運は上空から降りてくる羽のよう。必死で取ろうとするとふわりと逃げてしまう。落ち着いて、手を広げて待っていたら、ゆっくりと手の中に降りてくる。

 

こんなふうに4本の香りができました。その後、4種類の香りを同量ずつ調合して、四つ葉のクローバー香りの完成です。

完成した香りを確認するときが、一番わくわくする瞬間です。この香りは、想像したよりもずっといい香りになってくれました。つけると本当にいいことが起こりそうです。

もしも最初から「四つ葉のクローバーの香り」をイメージしてつくっていたら、違った結果になっていたことでしょう。

 

希望、誠実、愛情、幸運は、幸せに生きるために必要な要素なのかもしれません。

4つの葉がきれいに絵になるような、バランスのとれた感覚でいる。そんな幸せのヒントをくれた香りとなりました。

 

 

エジプトと女神とこころ

古代エジプト展で「死者の書」をみたことから触発された香りづくりでは、古代の人々が超自然的なものと密接に関わりながら生きていたことや、魂の生まれ変わりについて、深く想像をめぐらせました。

Egypt lightbeamEgypt lightbeam / Cybergate9

 

古代のエジプトは、ナイル川の水と緑豊かな土地が広がり、金やローズオイルなど高価なもので溢れていたといいます。ピラミッドも、奴隷たちに過酷な労働を強いたのではなく、食べ物も水あり、二日酔いで休むことも許されたのだそうです。

豊かな文化は、豊かな心の反映です。
エジプト研究で有名な吉村作治さんの本「ヒエログリフで学ぼう!」では、エジプトの神であるアメン神の言葉に「私が楽しむための土地を、私がつくった」というものがありました。
「苦しむため」ではなく、「楽しむため」という言葉が、心に深く響きました。

 

生きること。それも、「幸せに」生きることは、人間にとって普遍的なテーマなのだと思います。簡単に答えのでない問いに、さらに深い思考の海に入っていくことになりました。

 

香楽を始めた最初のころは、考えが浅く、ひとつの香りに関する文章も2~3行しかありませんでした。きっと、考える量は文章の量に比例するのでしょう。このころから、物事を深く考えられるようになり、文章もたくさん書くようになりました。

香楽をつづけることで、「香りをみる」と「心をみる」が同義語になり、やがて想いが膨らんで心の中のコップを満たし、そこから溢れ出てきたのかもしれません。

 

 

宇宙とシンクロニシティ

Pleiades Star Cluster
Pleiades Star Cluster / aresauburn™

香りに癒されて、心のブロックが外れると、新たな扉が開いていくようです。

 香りがみせてくれた古代エジプトのイメージはとても鮮やかで、いまここに息づいているようでした。イメージの世界では、時間や空間に縛られることはありません。

 

古代エジプトから飛躍して、テーマは宇宙まで広がっていきました。

宇宙まで視界を拡大させ、生命の神秘に思いをはせると、普段とは違うフィールドに入るような、不思議な気分になりました。

 

参考に読んでいた「投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待」という本の中で、フランスのプチ・トリアノン庭園を散策していた二人の教授が、突然、過去へタイムスリップしてしまい、18世紀のマリー・アントワネットに会ったという話を目にしました。

その数日後、出かけた先で、突然マリー・アントワネットの肖像画と目が合ったのです。驚いて鳥肌がたちました。それは「マリー・アントワネット物語展」という展示のポスターでした。

 

シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)体験は、進むべき道を正しく歩んでいるときに送られるサインなのだそうです。香りが、この先にゆく道を明るく照らしてくれるようでした。

 

 

マリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノン

マリー・アントワネットは無類の香水好きで、お抱えの調香師であるジャン・ルイ・ファージョンに、彼女のお気に入りの庭であるプチ・トリアノン庭園の香りを依頼していました。「マリー・アントワネットの調香師」という本を読むと、プチ・トリアノンの香りの制作過程はまるで音楽のようで、美しいイメージで彩られていました。

Petit trianon - Chateau de Versailles
Petit trianon – Chateau de Versailles / s1055032

浪費を繰り返したために世間から非難され、誤解も大きかったマリー・アントワネットですが、その香水は、彼女の隠された本当の人柄まで映し出すように、上品で繊細につくられていました。

 

偶然の一致で、マリー・アントワネットに縁があったので、ジャン・ルイ・ファージョンがつくったプチ・トリアノンの香水を、同じテーマでつくってみたいと思いました。

マリー・アントワネット物語展では、王妃が着ていたドレスのレプリカが、贅沢な時代から質素なものまで展示されていたので、当時の王妃の生活を具体的にイメージすることができました。

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「ファージョン、あなたに頼みごとがあるのです。このプチ・トリアノンを香水瓶につめてほしいのです。この場所をこよなく愛するがゆえに、どこへ行くときでも一緒に持ち歩きたいのです。」

そう言ったマリー・アントワネットの心情を想像してみました。

自分だけの箱庭のようなプチ・トリアノンへの愛着と、そこを失うかもしれない不安とが入り混じっていたのかもしれません。

ジャン・ルイ・ファージョンが使用した花の香りをなぞりながら、王妃の心を想像すると、18世紀のフランスのプチ・トリアノンの庭を歩いたような気分になりました。

 

プチ・トリアノンは、マリー・アントワネットにとって楽園のような場所でした。贅をつくし、自分だけの理想の空間を作り上げたのです。しかし、王妃の結末を思うと、幸せに生きたとは言いきれず、複雑な気持ちになりました。

 

本当の「楽園」とは、いったいどんな場所なのでしょうか。

ひとつの香りをつくり終えると、また新たな疑問が浮かんできます。その疑問をテーマとしてつないでいきました。香りがあると、自己探求も楽しく進めることができました。

 

 

楽園のある場所

Heaven
Heaven / Rebecca Dubell

花の香りは偉大です。いまここに在るスイッチを押してくれるようです。

歩いているとき、道端に咲くキンモクセイや沈丁花などが放つ、豊かな香りのベールに入ると、幸せな気持ちに浸ることができます。良い香りを胸いっぱいに吸い込んでいる瞬間は、なにも考えず、心が静かになっています。

キンモクセイ
キンモクセイ / ktsugita

しかし、頭の中がせわしない思考でいっぱいになっているときは、身体が感覚を閉ざしてしまうのか、良い香りに気がつくことができません。

それでも、花は静かに咲いて、何も言わずただそこに在るだけです。

 

この地球に花が存在していなかったら、それはさみしい世界でしょう。

そこに一輪の花があり、良い香りがしていたら、それだけで幸せな気分にもなれるのです。心が雑念にとらわれず、静かであると、感覚が研ぎ澄まされ、物言わぬ者たちの小さな声を感じとることができるのでしょう。

ほんとうの「楽園」は、案外近くに存在しているのかもしれません。

 

香料文化誌―香りの謎と魅力」という本に、素敵な言葉がありました。

「パンを2個持つものには、その1個をスイセンの花と交換させよ。パンは肉体の糧であり、スイセンは魂の糧であるから」

そう、良い香りは魂の糧なのです。良い香りにうっとりと心を傾けるとき、魂が休息し、そこから癒しが始まるのでしょう。

 

 

サーカスと猛獣使い

香りを楽しみ、充実した日々を送っていても、まったく問題の起きない人生になるというわけではありません。複雑な人間関係につまずき、対処できないときがありました。

香りの世界にふれ、心も強くなったはずなのに、です。これは落ち込みました。

 

一度相手に強い恐怖感を覚えてしまうと、その恐怖が膨らんで怪物のように大きく感じられ、自分は狙われた小動物のように、怯えて身動きが取れなくなりました。

心も身体も頑なに拒否しているのが感じられ、このままではいけないと頭では分かっていても、どうすればいいのか分かりませんでした。

そんなときは香りづくりをして、自分を励ましてくれる香りを何本もつくりました。そうして少し気分がおさまっても、またすぐに戻ってしまう、その繰り返しでした。

 

そんな時、気分転換にと誘われて、サーカスを見に行きました。

普段は何もない広場に、赤いテントのサーカス会場が設置されていました。中に入ると、暗闇の中で光る独特の照明と音楽で、別世界のようでした。

サーカスがはじまり、曲芸や空中ブランコなど、魅力的な演技がつぎつぎと披露されました。小休憩をはさむと、ステージに檻が設置され、ライオンたちがやってきました。猛獣ショーの始まりでした。

動物が好きな私は、ライオンたちの優美な姿に魅了されました。猛獣使いは、百獣の王であるライオンを前にしても、堂々としており、鞭を自在に操ってライオンを導いていました。床に寝転がるライオンを見て、「まるで猫みたい」と、後ろの誰かがつぶやいたのが耳に残りました。

 

後日、香りづくりを始めたとき、ふと、いま置かれている状況と、サーカスで見た猛獣使いのイメージを合わせることはできないかと考えました。ライオンを相手に堂々と振舞う猛獣使いの姿は、そのときの私に足りない何かを持っているように思えました。そして、これはとても効くアイディアだと直感しました。

Circus Krone, Germany 2011
Circus Krone, Germany 2011 / dirkjanranzijn

香の具が入ったケースを開けると、強くなれる香りや、優しさの香りなど、協力してくれそうな香りたちが、自らを選んでくれるのを待っているようでした。

香りを選ぶと、いよいよ香りづくりの始まりです。まだ香りができていないにも関わらず、このころにはわくわくした気持ちでいっぱいになっていました。

 

以下、香りのノートからの抜粋です。

102Bホワイトローズ

自由な心。優雅な気持ち。ローズは心を豊かに、自信をつけてくれる。優しく、強く、素晴らしい香り。

 

110チュベローズ(月下香)

女王のような威厳ある香り。強くて、優雅で、みるものすべてを虜にしてしまいそうな香り。瞳に力があり、心を奪われてしまうような魅力があって、人でも動物でも、何者にも動じず、しかも仲良くなれてしまう、不思議なパワーを持っているイメージ。

 

104リラ

相手を脅して萎縮させ、その相手が小さくなった分だけ、自分が拡大したように思い込む。そのようなやり方では憎しみを増やしてしまう。

そうではなく、魂の中にひそむ生まれ持った魅力を全開にして、心を拡大させ、豊かで実りある輝く世界に引き込んでしまう。こういう生き方は、わくわくするし、誰も傷つかず、みんなが幸せになれる方法なのではと感じられる。

 

601ムスク

世界的な猛獣使いは、両親ともに動物の調教師で、ライオンや虎に恐れを感じないよう育てられた。恐怖を感じないことは一番重要だと思う。相手を、敵や、猛獣だとみなさず、絶対的な信頼関係で結ばれている。動物の心を刺激せず、守りを固めなくても大丈夫、安全だと思わせてしまう、心や身体の使い方をするのだと思った。

 

101ジャスミン

ホワイトライオンの、白くてふわふわしたタテガミのイメージ。動物たちは人間の言うことをよく聞いて、飼いならされているように見えるけど、ひょっとしたら、動物たちのほうが精神年齢は高くて、うまく動かされているのは人間のほうなのかもしれない。

 

720バニラ

安心する甘さ。とろけるよう。心が混乱していても、香りづくりをして、心や頭、感覚を使って思いのままに文章を書いていたら、数日前とは比べものにならないくらい、楽になった気がする。

本当は、人生は楽しいものであるはず。色々あると、閉じこもったり頑なになったりするけど、それもまたやわらかく溶かして、戻ってくればいいんだと安心させてくれる、やさしくて甘い匂い。

自分の緊張がそういう風にやわらかく溶けたなら、相手も気持ちがゆるんで、楽になれるのではないかと思った。

 

103すずらん

すっきりして、透明で美しい香り。汚れやわだかまりが溜まって淀んだりすることなく、流れてきれいになっていくイメージ。

人間関係では、平等な感覚がなくなると、相手を思うように動かしたい、こんな風に言うべき、優しくあるべきなどと、無意識のうちに、期待や依存、欲求で相手をがんじがらめにしてしまう。その時点で、相手も自分もありのままでいられなくなってしまう。過度の期待や不安がなければ、心にトゲもなく、何にもとらわれずに生きていけるのかもしれない。

早くそうなれたらいいと思うけど、やっぱりなかなか難しい。少しずつ心の領域を広げて、何事にも動じない強い心を作っていくしかないのかも。すずらんのように、控えめだけど、かわいらしくいられたら、素敵だと思う。

 

こんな風につくりました。香りの名前は、もちろん「猛獣使い」です。

「猛獣使いになれるような香りをつくろう!」と思っただけで、気持ちが明るく晴れました。状況はなにも変わっていないのに、暗くおびえた思考から、一歩抜け出すことができたのです。

 

この香りの自評には、こう書いてあります。

「完成するまでドキドキしたけど、とっても良い香りができた。さわやかで華やかで甘みもあって可愛らしく、それでいて落ち着いた強さもある。

この香りをつくったら、本当に嫌な状況も乗り越えられた。恨みや嫌な感情が減って、自然体でいることができた。そうしていたら、物事が良い方向へ流れてきた。

嫌な相手を変えようとせず、自分が変わらなきゃと思っても、なかなかできない。香りはその点ですごく助けになってくれる。気分を変える達人みたい。

自分の意識を拡大する手助けをしてくれた香り。一生大事にしたい」

 

香水をふりまくと、香りが身体を取り巻くバリアになって守ってくれるようでした。

相手の不安定な気質を、必要以上に自分の中に取り込まず、相手のペースにのまれて自分を見失うこともなかったように思えました。

 

もちろん、すべてが夢のように解決とはいかないけれど、それでも、香りが一歩踏み出す勇気をくれて、その後の関わり方の整理ができたことは確かです。

 

香りが助けになってくれた体験をして、とても嬉しくなりました。

その喜びと同時に、もしかしたら、この香りが、同じような悩みで苦しい思いをしている誰かの役にも立ってくれるのではないかと思いました。

 

もう十分苦しんだなら、それ以上苦しむことはないはずです。自分を小さくしてしまったら、自分の魅力を無視することになり、それを相手は敏感に感じ取るために、余計にひどい目にあってしまいます。

一方、相手を傷つける言動をしてしまうときは、自分が愛されていると実感できないために、相手を貶めて、自分の価値を押し上げようとしています。

そこにライオンのような威厳はありません。まるで愛情に飢えて気が立った子ネコのようです。どちらにも強い恐れが存在しています。どちらかが先に、恐れのベールを脱がなくてはなりません。

固く閉ざしてしまった心の扉を開け、隠れてしまった自分の魅力を開花させることができたら、恐れに満ちた相手は手を出せなくなってしまうことでしょう。

 

 

香楽の可能性

生きていくうちに、辛いことがあると、これ以上傷つかないように、心の扉を何重にも閉めて、鍵をかけて封印し、閉じ込めてしまいます。

再び苦しみがやってきたとき、扉の数を増やすか、それとも扉を少しずつ解放するのか。どちらかを選ばなくてはなりません。

香楽は、きっと解放するほうの手助けをしてくれます。自分の心と対話することは、表面的な癒しではなく、本当の癒しを引き起こすからです。

 

香りと一緒なら、楽しく心と向き合うことができます。考えが複雑にからまったとしても、香りが道しるべとなってくれるのです。

 

 

レメディアル・パヒューム(治療香水)

昔から、歴史ある薬局の、薬瓶がならんだ棚を見ると、心がときめいていました。

数ある薬の小瓶が、困った悩みを軽減してくれる、魔法の棚のように見えました。

Medicine bottlesMedicine bottles / Andrei!
香りは、さまざまな機能不全をなおす薬のようだと思います。

その日の自分の心を観察し、今の感情がどんな具合かをみてあげて、喜びや悲しみ、怒りやイライラ、疲れなど、身体や心からのメッセージを受け取ることができたら、それだけでも癒しになると思います。
そして、そのときの気分にあわせて音楽や洋服を選ぶように、自分を元気にしてくれる香りを選ぶことができたら素敵だと思いました。

そんなことを考えていたある日、

NHKでアルピニストの野口健さんと、作家の平野啓一郎さんの対談を放送していました。
野口さんのお話では、エベレストの極限状態で、死とどのように向き合っているかというお話の中で大変興味深かったことは、『標高6千メートルを超えると匂いが消える。』という事でした。

6千メートルを超えると細菌などの微生物も生きられず、生き物がいなくなると匂いはなくなるそうです。

「匂いは命」だと話されていました。

匂いがなくなると不安になり生きている実感を確かめたくなって、自分の身体を触って匂いを確認した、ということでした。
「匂いは命」、心に響く言葉でした。

平野さんのお話では、「僕は小説を書くことで自分がかかった病気を治す薬を開発しているような気がしている。僕に効く薬、僕に効く考えは、同じ時代に生きている同じような悩みを抱えた人に、たぶん効くだろうと考えている」と言われていて、ちょうど香りで同じ考えをしていたので、偶然の一致に嬉しくなりました。

さまざまな分野で癒しが生まれ、本が好きな人は小説で、音楽が好きな人は音楽で、香りを好きな人は香りで、癒しの体験ができたら、素晴らしいと思います。

 

そして、もしも私の香りが誰かの役に立つのなら、優しく心に寄り添うような、
厳しい冬には寄り添ってじっと耐え忍ぶことができるような、誰かの心を癒す香りであってほしいと願っています。

 

 

香楽の未来

香りの可能性に興味を持たれた方は、ぜひ香楽を始めてほしいと思います。豊かな世界はどこか遠くにあるのではなく、ほかでもない、自分の心に存在するからです。

心の奥深さはどこまでいっても尽きることがなく、永遠の源泉につながっています。香りがそれを実感させてくれました。

そして、誰もがその源泉につながり、個々から生まれたひらめきや創造を、誰もが安心してわかちあい、認め合うことができるなら、それは幸せな世界だと思います。

 

香りは言葉に制限されません。

はっきりと言いあらわすことのできない、曖昧な心の世界のイメージを、香りの特質である、空気にふわっと広がる独自のやり方で他の誰かに伝えてくれる、本当に素敵なツールであると思います。

 

私が語ったのとはまた違う、もっと素晴らしい世界が、あなたの心の中にもあるのです。そのことを、ひとりでも多くのひとに実感してほしい。

ひとつの香りから、心を通じて、無限の広がりへ。

香りが、その旅への力強いパートナーになってくれることを願って。